こんにちは、あきたかです。
ここ最近ゲーム全然してないなーとふと思ったので、なぜ年齢を重ねるごとにゲームをしなくなってしまったのか、
今回は考えていこうと思います。
ゲームに夢中になっていた小中学生時代
現在ゲームをあまりしなくなった私も、小中学生のときは夢中になってゲームを楽しんでいました。
毎日の宿題もゲームを早くやるために終わらせていたし、部活をやっているときも、帰ってスマホゲームをすることが何よりも楽しみでした。
マ〇オ、モ〇ハン、ハ〇ズドラと当時を思い返しても楽しい思い出でいっぱいです。
ではそんなに楽しかったはずのゲームをなぜやらなくなってしまったのか、私なりに考えてみました。
ゲームを純粋に楽しめなくなった原因は〇〇
なぜ現在大学生の私がゲームを楽しめなくなってしまったのか。
久しぶりにゲーム機を起動させてプレイしてみると、私の中にある一つの感情が浮かび上がってきたのです。
これ、将来の役に立つか...?
このことに気づいた瞬間、自分のことながら
「なんて私はつまらない人間になってしまったのだ」
と思いましたね。
だっておかしいでしょ?これは将来役に立つかどうかが、ゲームをやるかどうかの判断基準になっているんですよ?
これは私がロボットになってしまったこととほぼ同義じゃないかと思ったわけです。
本来無駄を楽しめるのが人間の良いところのはずなのに、気づいたら自分はとんだ合理的人間になってしまっていたのです。
どうしてもTwitter界隈()にいると、
「ゲームをするくらいの時間があったら作業!」
「友人・家族との時間を減らせ!」
と洗脳を受けるので、ゲームをしていても、

と100%楽しめていない自分がいたんです。
もちろん寝食を惜しんで努力することを否定しているわけではないし、むしろ何かの分野で成功するということはその道は避けては通れません。
でもただ第三者からの美味しい話を聞いて、ただ将来役に立ちそうだからという理由で、英語学習やプログラミングをやっていた私にとって、
ただの合理主義のロボット人間になってしまったという事実は、非常に悲しいことでした。
(最近はギターを弾いたり、こうやって書きたいなと思った文章を書いたり好きにやってます。)
大人の階段を登ってるのか?
このゲームを純粋に楽しめなくなるということは同時に、それが大人になることなのかなとも思います。
しかし1度きりの人生、ゲームに夢中になっていたあのときの純粋さを忘れないようにしたいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。